2011年11月14日月曜日

水よ、あっちへ行け!バンコクの一部住民が堤防を破壊 中心部浸水の恐れ

タイ大洪水で、首都バンコクのタヤー副知事は13日、首都中心部への水の流入を阻止するため北部ドンムアン地区につくった土のうの堤防の一部を、周辺住民が破壊したことを明らかにした。首都中心部が浸水する恐れが再び出てきた。
 北部では大型の土のうを並べ、南下する大量の水をせき止めているが、堤防の北側で水が滞留しているため周辺住民から不満が出ている。住民らは同日、幅15~20メートルにわたり堤防を破壊。一部住民は破壊を続けると主張、タヤー副知事は「破壊が続いた場合、中心部が浸水する恐れがある」と述べた。
 13日までの政府のまとめによると、洪水による死者は536人となった。
 同じ北部でも中心部との境界にあるチャトチャック地区ではここ数日、土のうの堤防の効果もあり水位が低下。冠水した道路から水が引いてきている。(共同)

2011年11月6日日曜日

TPPでアメリカに踏み絵を迫られた日本経済の非常事態

オバマ大統領も野田総理の腹の内を読み抜いたフシがある。さる10月12日、米上下院は韓国との自由貿易協定(FTA)を可決した。米韓のFTAが発効すれば2.5%の自動車関税が撤廃されることから、北米市場で現代自動車など韓国勢のシェアが急拡大するのは間違いない。結果として日本勢直撃の図式だ。もしも日米が2国間で交渉すれば、米韓同様のFTAに踏み切れたはずである。ところがオバマ政権はTPPを優先し、2国間交渉の門戸を実質的に閉じてしまった。したがってトヨタ、ホンダなどが北米市場で韓国メーカーと対等に競争するためには、TPPへの参加が不可欠になってくる。
 「米韓FTAは、日本をTPPに引っ張り込むためにオバマが仕掛けた高等戦術といえば話は早い。メンバー構成からも明らかなように、もし日本がTPPに参加しなければ将棋でいう飛車角落ちとなり、TPPが弱者連合に成り下がる。シタタカな米オバマ政権がそんな事態を回避すべく知恵を絞って日本を引っ張り出そうとしていた折も折、妙な色気に取りつかれたドジョウ政権が揉み手で急接近してきた。オバマ政権の目には“鴨ネギ”と映ったはずで、大統領は含み笑いを噛み殺すのに懸命だったようです」(情報筋)

 このように日米両政権の妙な思惑が一致し、野田政権の下で日本がTPPに参加すれば、BSE(牛海綿状脳症)規制が撤廃されるのは必至。それどころか国境を越えた金融ビジネスに風穴が開くことで、巨大な郵政・共済事業に米国の大手資本が参入し、日本市場が青い目の軍門に下るのは目に見えている。
 むろん、賛成論者は「そうさせないために交渉に参加し、日本に不利な条件を排除する必要がある。遅れて参加した場合、ダメージが大きい」と強調する。これも一理あるが、留意しなければならないのは、今後も主導権は“TPPの議長国”を自負する米国が握ることだ。即ちTPPが米国の利益と表裏一体の関係にある以上、日本を含む“その他大勢”の各国の国益とは相容れない図式が見えているのである。
 「チリやニュージーランドなどの4カ国で始めた協定に米国が途中から加わった理由は、太平洋を囲む国々は米国の縄張りでなければならないという強者の論理に他なりません。野田政権に踏み絵を迫っているのも、煮ても焼いても食えない菅政権に比べれば、まだマシと睨んでいる証拠です」(大手商社マン)

 どうやらドジョウ総理、オバマ政権の掌で踊らされたピエロ、いや孫悟空のようである。

2011年11月4日金曜日

TPP参加は「入水自殺」=田中元外相

民主党の田中真紀子元外相は4日午前、衆院議員会館で開かれた会合で講演し、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加について「TPPに飛び込んで入水自殺するのか。野田佳彦首相は国論を二分している実情では『今は入りません』と言うべきだ」と述べ、反対の考えを示した。会合は「TPPを慎重に考える会」(会長・山田正彦前農林水産相)が主催した。 

2011年11月2日水曜日

紳助親分の「使用者責任」(1) 紳助をコキ下した松本人志罵倒肉声!

例えば「番組出演」をちらつかせ、多くの愛人を囲い込んできた。たとえ動機が不純でも、そこには「使用者責任」が存在したはずだ。とはいえ、人を利用することばかりに熱心だった紳助親分。最後はみずから起こした不祥事で、当の本人が責任を取らされようとは因果応報である。


 お笑い界を牛耳る紳助親分こと島田紳助(55)にとって、松本人志(48)は絆の深い「直参」だったはずだ。少なくとも、世間の多くはそう見ていたであろう。しかし、松本が紳助に抱く感情には、「盃返し」も辞さない不穏な空気が漂っていたというのである。



 8月23日に行われた運命の会見で、紳助親分は松本の名前を出してこう語りだした。

「前もって(引退について)言ったのは、ダウンタウンの松本だけです。ダウンタウンの漫才を見て『紳竜』は終わりだなと思った。芸能界終わる時も、まずアイツには伝えとかなアカンと思いまして、ヤツだけには伝えました。松本は『兄さん、やっぱり(吉本を)辞めんといてください』と言ってくれました」

 10月7日、今度は松本が会見の席にいた。

 それはNHKで初のレギュラー番組となる「松本人志のコントMHK」の制作発表会見だったのだが、なんと松本は、紳助親分への決別宣言とも取られかねない発言をしたというのだ。「この会見で松本は、吉本芸人の誰もがスルーする紳助問題についてみずから口を開いたんです。『ちょっとだけ、(紳助が会見で語った)やり取りはしました』と引退直前の接触は認めたものの、引退後の連絡に関しては『いや僕は、今はまだ全然‥‥』と話した。わざわざ紳助と没交渉である現状を暴露したことで、報道陣も色めきたちました」(芸能記者)

 松本がこんな発言をした背景について、とあるお笑い関係者が明かす。

「松本は紳助が会見で語った引退を引き止めたかのような発言に関して、『俺、そんなこと言ってへんねんけど。この期に及んで、(自分の名前を)利用すんのは、ええかげんにしてほしい!』と、激怒していたと聞きます」

 松本が「ええかげんにしてほしい」と話したのだとしたら、それも当然だ。

 紳助が松本の名前を利用して自分を大きく見せるのは、今に始まったことではなかったからである。

「06年4月にかつての相方、松本竜介(享年49)が亡くなり、その1年後にフジテレビで追悼特番が放送されました。その中で紳助は『松本(人志)も来てくれて号泣していた』とエピソードを紹介した。ところが、その直後のラジオ番組で松本は『あのオッサンええかげんにせなあかんですよ』と紳助の発言を否定したんです。ギャグ交じりですが、『そんなんで、俺を利用してくれるな』という本音の罵倒だと思いましたね」(前出・芸能記者)

 先にも触れたが、紳助はことあるごとに、自分が漫才をやめたのはダウンタウンの漫才を見たからだとしていた。

 その真意について、お笑い評論家のラリー遠田氏が解説する。

「紳助からすれば、『俺はいち早く松本の才能に気がついていたんやぞ』という意味です。90年代以降は松本の才能と人気を利用し、『俺は尊敬されてんやぞ』というのを現場スタッフや若い世代のファンに見せつけることで、みずからの地位を上げてきたという歴史があるのです」