2012年4月29日日曜日

バスは側壁に食い込み、真っ二つに


バスは高速道路の側壁に突き刺さり、真っ二つになっていた-。29日早朝、群馬県藤岡市の関越自動車道で起きた7人が死亡する衝突事故。負傷した乗客らは次々と救急車で運ばれた。
 救急車やパトカー数十台が駆けつけ、懸命の救助活動が続いた。軽傷とみられる乗客らはバス後方に置かれた車両に移動し、ぐったりとした様子。ストレッチャーに乗せられるなどして、群馬県内の病院に相次いで搬送された。
 側壁はバス後方にまでめり込み、衝撃の激しさがうかがえる。周辺には救助の際に撤去したとみられる座席やガラス片などが散乱。乗客らを運び出した後には、警察官らが残された荷物を取り出していた。
 バスを運行する「針生エキスプレス」(千葉県印西市)によると、バスは乗客45人を乗せて28日夜に金沢市を出発し、千葉県浦安市の東京ディズニーランドに向かっていた。

2012年4月8日日曜日

高石ともやさん(6)どこからも見える一本杉のように


大阪・淀川河川公園で先月20日開かれた「淀川国際ハーフマラソン」に、ゲスト参加したフォーク歌手の高石ともやさん(70)。ランナーとしても走る予定だったが腰の故障でドクターストップ。ミニライブだけでの登場となった高石さんの「いやあ、腰を痛めて…」という言葉に、「無理したらだめですよ」とファンの声。そのやりとりで会場にぬくもりが広がった。
 ぼくは音楽がなかったら生きていけなかった。母は本当に厳しい人で、こんな母親を持った子供ってどうやって生きたらいいのかと思っていたときに、歌を歌ったら「いいよ!」と言ってくれるお客さんがいた。それで「ぼくも生きていいんだ」と思った。だからファンの人たちは、ぼくにとっての“帰る場所”なんです。
ルイ・アームストロングのステージや古今亭志ん生さんとか立川談志さんの落語、さまざまな舞台を見ました。それで、談志さんにはまった。
 あの人は落語を語るのではなく自分を語っている。その影響でぼくもフォークソングの中に自分を入れた。政治も入れた。好き嫌いも入れた。そしてギター一本でお客さんと語らうスタイルを作っていった。
 そんなぼくの音楽を、哲学者の鶴見俊輔さんは「君の音楽は完璧じゃないから『人々音楽』。何かが足りない分、聴く人と歌い手がお互いに情熱を持って近づこう、共感しようとする音楽だ」と言ってくれた。
 ぼくのファンって、変な人が多いんです。毎年12月に開いている恒例の「年忘れコンサート」でも、「高石が元気なのを見ればそれでいい」と、コンサートの途中なのに帰っちゃう人とか。
 ぼくが意識しているのは、お社(やしろ)の前の一本杉。ぼくが立ち尽くしていたら、みんなが集まってくる。「まわりはすっかりビルになったけれど、あの一本杉はまだ立っているね」って。一本杉の価値が出るのは、まわりが変わりきったときだと思う。だから、ぼくは70歳から長生きしないといけない。
《高石さんは昨年12月、ハワイで行われた「第39回ホノルルマラソン」を4時間49分21秒で完走。連続35回出場を達成し、外国人参加者による連続出場記録を更新中》
 ぼくには「70歳を過ぎてから加速できたら最高だ」という夢がずっとある。加速できないまでも、立ち止まってうずくまるのではなく、まだ走っている。思いのまま、体が動くようであってほしい。そのために、50代、60代があったつもりなんです。
 70歳過ぎてからの“存在感と輝き”がぼくのテーマ。でも、神様は、この70歳の男から去年の3月8日、奥さんを取り上げた。だから去年は全く前に進めなかった。今年は春から夏にかけては、少し前進できるかな。前進しないと、亡くなった奥さんに叱られるから。
 そんなぼくの一歩が、6月2日にサンケイホールブリーゼ(大阪市北区)で開かれる「きたやまおさむ よいよいよい祭」への出演です。元フォーククルセダーズのきたやまおさむさんが企画・演出・進行するコンサートで、永六輔さんもゲストで来ます。みなさんと一緒に“よい気持ち”になれるコンサートにしたいと思っています。
結局、いくらもうけたかとか、財産が残ったかとかではなく、それぞれに人生に出会いがあって、別れがあるから幸せなんで、70歳からそのストーリーが楽しめるようになりたい。
 家族も一人ひとりのストーリーが作れればいい。娘も、息子も、その人のストーリーが大事。これがぼくのテーマ。はやりすたりを超えて、ぼくのフォークソングは、ぼくのストーリーでありたい。